体験談その1 幼少期〜学生時代

 こちらでは、筆者のこれまでの病歴や発達障害の診断を受けた際の体験談などについて書き綴っていこうと思います。
 これから発達障害の診断を受けることを検討されている方の参考になれば幸いです。

 

普通ではなかった幼少期

 1歳未満の頃はあやしても笑わなかったり夜泣きがひどかったらしく、母親が病院に連れて行ったものの、当時は原因がわからなかったとのこと。
 また、この頃はかなり情緒不安定だったとも。

 母によると、当時からこだわりが強くマイペースで音や匂いに敏感(感覚過敏)で、冗談が理解できない、気持ちの切り替えが苦手、予想外の出来事などにパニックを起こす、環境の変化が苦手など、既に幼少期から今で言う発達障害の症状があったとのことでしたが、当時は現在以上に発達障害の認知度が低かったためか家族でさえもそれらが障害によるものだという認識はなく"個性"だと信じていたようで、この件に関しては深堀りはしなかったとのことでした。


 

幼稚園時代には既に二次障害が……

 今思えば子どもの頃から発達障害の特性が強かったように感じます。
 当時から他人に全く興味が持てず、一人で過ごすのが好きでいつも孤立しており、先生などから無理やり友達の輪に入れられたこともあったものの、遊んでいて楽しいと感じることはありませんでした。
 とにかく当時からまともに人間関係が構築できず。

 健常者とは異なり、いつまで経っても集団に馴染めなかったため、あまり教室には行かず園長室で過ごすことが多かった記憶があります。

 とにかく自分が集団の中に居るということに対しては未だに苦痛を感じます。
 また、現在でも基本的な性格は当時と変わっておらず。


 年中の頃お遊戯で周囲と同じように動けず。
 人生で初めて違和感を感じたのはこのときでした。
 それ以来ずっと"自分はどこか周りの人とは違う"と思っていました。

 当時から友達はおらず、年長になると担任が変わり、その担任からいじめを受けたことが原因で場面緘黙かんもく症と思しき症状に見舞われるも、当時は自分でも病気だという認識はなく、周囲からも理解されなかった(母によると"個性"だと思っていたらしい)ため、病院を受診する機会はなく未診断でした。

 今思えばこれは発達障害の二次障害なのですが、周囲の人々も私が年長になった途端に突然喋らなくなったため、きっと変に思ったことでしょう。

 病名は成人後に自分で調べ判明。
 また、この症状は中学を卒業する頃まで続いてしまいました。

 

学校に行けば必ずいじめを受けた小学校~中学時代

 小学生になっても相変わらず集団には馴染めず。
 学業のほうでは普通よりもかなり作業スピードが遅く(よく周囲からはマイペースだと言われた)、いくら頑張っても周囲のスピードに追いつけなかったため板書ができず、授業についていけませんでした。

 不定期にノートを提出しなければいけない時があり、いつもノートが不完全だったためその都度教師に叱られていたことは今でも忘れられません。

 私自身子どものころからコミュニケーションに問題があり、周囲とうまく意思疎通ができていないということは自覚がありました。また、これに関しては母も認識していたとのこと。

 今思えば、この頃から不注意で要領が悪く、忘れ物などが多いという症状もあったものの、そちらの症状については何故か当時は自覚なし。

 母によれば私が自ら友達を作って一緒に遊んだり、お互いの家に呼びあうようなことが一切なかったため、母は「自分の学生時代とは違う」とは感じていたとのこと。
 幼少期から発達障害の特性が強かったためか母は「この子には特技を身に着けさせないと将来困ることになるだろう」と思っていたらしく、私に沢山の習い事をさせていました。
 しかし、当時は現在以上に発達障害に対する認知度が低く、母でさえもそれが障害だという認識はなかったとのこと。

 また、学校での出来事などを家族に話すようなことは殆どありませんでした。
 場面緘黙症の症状も続いており(しかし周囲からはやはり理解されず)、家庭訪問時に担任の教師から母にこの話が伝わってしまったらしく、母からは「何故学校では喋らないのか」などと問い詰められたが、当時は自分でも理由がわかりませんでした。

 中学を卒業するまでは学校にいけば必ずいじめがあり、中学2年のときにいじめが原因でうつ状態となり不登校に。
 しかし家族が精神障害に偏見を持っており(自分の家族に精神障害者が居るということを受け入れたくなかったようです)病院への受診を反対したため、こちらも未診断でもちろん治療も受けられず。

 不登校中は無気力や自殺願望、"楽しい"などポジティブな感情の消失などの症状があり家に引きこもることしかできず、とても登校などできるような状態ではなかったのだが、親や教師からは登校するように何度も催促されるなど二次的な障害も含め周囲からは全く理解されず。

 

意外と順調だった高校時代

 相変わらず周囲に比べてスピードは遅かったものの、その高校は非常に自由な校風でマイペースに勉強を進められる学校だったため、順調に通学して3年間で卒業。

 この頃から気付けば場面緘黙や抑うつの症状はなくなっていました。

 

大学時代は悲惨な結末に……

 高校時代、進路指導で担当の教師から「あなたはコミュニケーションが苦手だから心理学を勉強すれば良い」と言われ、とある大学の心理学科を強く勧められました。
 さらに母もその話を鵜呑みにし私にそこを強く勧めてきたため、当時は特に希望する進路がなかった私は結局そこへ進学することになりました。
(彼女らは私が心理学を勉強すればコミュニケーションスキルが向上するなどと素人ながらに思ったようです。発達障害は生まれつきの脳の特性のため、心理学を勉強すれば解決する問題ではないのですが……)

 しかし入学後、今で言う発達障害の特性に非常に悩むことになってしまったのです。

 私は板書ができないため授業は全て録音するなどの工夫をするも、やはり授業にはついていけず、問題は解決せず。


 さらに部活では先輩の指示が理解できなかったり、集団に馴染めないなどの症状が目立ち、人間関係のトラブルにも見舞われたのです。
 なぜコミュニケーションがうまくいかないのか当時は原因がわからず。

 スクールカウンセラーに学校生活での困りごとや、今で言う発達障害の症状についても相談するも理解されず。

 そして、1年の後期に通学中の電車の中で激しい発作を起こし、その後も外出先で複数回同様の症状に見舞われ、その後休学することになりました。

 休学するには大学に診断書を提出する必要があったため、初めは近所の内科を受診するも原因がわからず。

 内科での診断結果に納得ができず、症状をネットで調べたところ"パニック障害"の症状と一致していたため、後に心療内科を受診し診断書を依頼したのですが、この時に受診した病院は医師との相性が合わず。

 定期的な通院とカウンセリングを勧められたものの、すぐに通院を中止。
 やがて症状が悪化し外出が困難な状態となってしまい、1年程休学した後そのまま退学。


 次回へ続く。

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